タナケンの原点ここにあり!

 地元で親しまれる腕のいい建具屋の祖父、
父は建具屋になりたいと考えた時期もあったが公務員の道を選んだ。

その家系の3代目として私は生まれました。

 父は学生時代、祖父の仕事を何度か手伝っていたそうです。
今から50年以上も昔のことですから車などなく、
すべてリヤカーで建具の引き取り・納品をしていました。
名古屋市北区清水で営んでおりましたから、
あの有名な「清水の坂道」もリヤカーを押して手伝いしていたと聞いています。

 祖父は私が幼い頃に亡くなったため、
祖父の仕事に対する考え方や想いを直接聞いたことはありません。
しかし、父から祖父の話を聞き、
また亡き祖父愛用の小刀・鉋(かんな)・鑿(のみ)を持つと、その思いが伝わってきます。

CIMG4771.jpg 「お客様のために最善を尽くす」

 「ありがとうの言葉が、一番の報酬だ。 お客様の期待に応える」


 祖父の思いは、その道具に込められ、父に語り継がれ、
住宅建築の仕事として同じ愛知で根を張った私がそれを受け継ぎます。

  「すべては、お客様の笑顔のために」



 小学生の頃、一宮市の周りは田んぼばっかりのところで育ちました。
周りの友達と、「あの虹の根元までいってみようぜー!!」
なんてみんなを引き連れて江南の方まで歩いて行ったこともあります。
行動的というか、バカというか。
思い込むと、とことんやってみないと気が済まないタイプ
なのですね。

 6年生の時は児童会会長をやっていました。周りの友達から
“タナケン” (私のあだ名)やれよー 」と言われ、断れなくてというより、
「俺、みんなから期待されていると思うと、やらずにいられない!
やるしかない!よし、やってやる!」

期待されると、その期待に応えたい、責任は果たしたい。と考えていました。

 中学、高校では野球部で頑張っていました。はっきり言いますが、下手でしたね。
中学3年生の最後の試合、エラーしてその試合負けてしまいました。
自分は、めちゃめちゃ悔しくて、ほんと悔しくて…

 高校へ行ってこの悔しさを絶対晴らしてやる。
そして「甲子園へ行く!」なんて考え、かなり頑張って練習していました。
 しかし甲子園どころか、レギュラーにもなれず、
監督から「棚橋、応援団長やってくれ」って言われました。
 「なんで応援団?」  私は、野球がしたくて野球部に入ったのに、
なんで応援団なんてやらなきゃいかんのだ。
めちゃめちゃ屈辱で、悔しくて、監督と何度か話し合いました。
   最後は、監督の想いが理解でき、よしやるからには真剣にやってやる。
みんなのため声張り上げて応援するぞ!

そう考え、仲間を集め、練習して、チームのために、監督のために、応援しました。

 結局、レギュラーにはなれませんでした。
私の野球人生は、夢を達成できたわけではありませんが、それなりに納得して幕を引きました。


 そして、いよいよ就職活動。就活時は、特にやりたいこともなく、あこがれた職業もなく、
ただ企業の歯車になるのだけは、いやだなあと漠然に感じていました。
そして、やるからには、1から10まで自分でやれる仕事、やりがいのある仕事がしたい
(やり貝なんてCMもあったかな)そんな感じで考えていました。

 そんな時に目に留まったのが、印刷会社の建築関係事業部。
なんかおもしろそうだなと思い、面接を受けました。その当時は、売り手市場。
人手が足らなく、一発合格。配属も希望通りの建築関係事業部です。

 同期2人は決まったお客様の担当になりましたが、私には何も与えられませんでした。
1日外回りをして会社に戻ると、他2人は発注業務・売上入力などの業務ですが、
私は何もすることがなく定時で帰社し、なんか取り残された感じがしていました。
 いわゆる私に与えられたことは、新規開拓
どうすればいいか先輩に聞き、建通新聞を読み、すべてチェックを入れて、新規訪問の毎日。
 今思えば、この時の体験が今の自分にとって財産になっています。

 数か月たち売上が上がってきた頃、あるお客様から言われました。
「棚橋君、自分でやれば?」
私は正直、意味が分かりませんでしたが、「そうか、独立することか。」
 あれ!?  俺、期待されているよな、よしやってやるか。
20代前半、怖いもの知らず。右も左もわからない、建築知識もまだ乏しいまま、
工務店の下請けのような形で、大工見習い及び人員派遣の仕事を始めました。

  「棚橋内装」・・・現在の「タナケン株式会社」の始まりです。
 その工務店は、ハウスメーカー、ゼネコン、サブコンの下請けで、私はその下請け、いわゆる孫請け。
始めは面白くて、自分でやればやっただけ力もつくし、腕も上がるし、収入も以前より上がる。
残業は当たり前で、3日間徹夜したこともあります。 本当によく働きました。
 20代前半の若僧ですから、誰のための仕事か?誰が住むのか?など何も考えず、
ただただ しゃにむに仕事を覚え、大工をしていました。

 数年たち、友人の紹介から、お客様より直接リフォーム工事をいただきました。
直にお客様と話をさせていただき、お客様の思いをお聞きしていますと、
message02.jpg よし! いい仕事して、お客様の夢をかなえたい。
 それは誰かに期待されると、その期待に応えたい、
 責任を果たし、喜んでほしい。

そう考えた幼い頃と一緒でした。

 お客様のためだけを考え、無事その工事を終えたとき、
お客様から「棚橋さん、ありがとうございました。」
感謝のお言葉をいただき、まさに感無量。
めちゃくちゃ うれしく思いました。
  私はその時、思いました。

「まさに、この職業こそ天職だったんだ。
俺も、祖父の思いを引き継いで、住宅建築をやっていこう!!」


 お客様から直接お話しをいただき、仕事も増えてきました。
現在では私自身が現場で職人することはありませんが、
この人いいなと思った職人さんにお任せして,
私はお客様のことだけ考え家づくりのプロデュースをしております。

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一人一人、顔も性格も違うように、ライフスタイルも違います。

お客様のライフスタイルに合わせて、

『安くて、頑丈で、ちょっとかっこいい』 家づくりで、

  お客様の大事な家づくりのお手伝いをさせていただき、

お客様ご家族の、夢を、未来を創っていきます!!

  「すべては、お客様の笑顔のために…」


ハワイアンホーム 代表取締役社長 棚橋 健

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